
「ミツバチと生きる」——小網代の森はちみつの養蜂のかたち
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神奈川県・三浦半島の先端に位置する小網代の森。
豊かな森林、湿地、干潟及び海までが連続して残されている、関東地方で唯一の自然環境をもつこの地で、養蜂を営む一人の養蜂家がいます。
今回そのままハニーチームが訪れたのは、飯倉さんの育成蜂場。
無事に越冬して春を迎えようとしているミツバチたちが息づくこの場所で語られたのは、自然との共生、地域との連携、そして“ハチミツ”の味を決める、養蜂の奥深い世界でした。
(大仙養蜂園は小網代近郊緑地保全区域の域外に位置しています)

静けさの中に潜む緊張感 ——春を待つ養蜂場
訪れたのは、3月中旬のまだ肌寒さの残る日。
ミツバチたちが本格的に飛び始めるには少し早く、あたりの農地もどこか静けさに包まれていました。巣箱の周囲には大きな鉄骨が組まれ、何かを囲うような形をしています。
飯倉さんによると、オオスズメバチなどの天敵が活動的な時期にその骨組みを使い、養蜂場全体をネット(蜂網)で覆うのだそうです。
「オオスズメバチの襲撃は、網によってミツバチの巣箱と距離を取ると、効果的に防ぐことができます。でも、うまくいかないと、網をかじって穴を開けて入り込み、一つの群れがあっという間に壊滅させられることもあります」
そうした話に、現場の緊張感がじわりと伝わってきます。自然に囲まれたのどかな場所にあっても、ここは常に“生存”と“共存”の最前線なのだと実感させられる瞬間でした。
「共に生きる」を選ぶ養蜂
オオスズメバチを駆除しないのか?という問いに、飯倉さんはこう答えました。
「頂点捕食者であるオオスズメバチを駆除すると、下位のキイロスズメバチなどが増えてしまいます。 養蜂にとっては害虫でも、生態系にとっては重要な存在。農業的にも益虫です。」
さらに続けて、こんなことも話してくれました。
「そもそも養蜂って、自然な状態じゃない。養蜂場は人間のエゴで都合の良いように蜂を飼う場所で、こんなにミツバチが密集すること自体、自然界にはありえない。」
養蜂は畜産業のひとつ。人がミツバチを飼い、管理し、収穫を得る。そこには人間の手が深く入り込んでいます。
「だからこそ、これ以上環境を乱したくはない」———飯倉さんは、無闇な駆除で生態系の均衡を崩さないことこそ、『エコシステム(生態系)』を利用する自身の“養蜂家としての務め”だと語ります。
「とはいえ、オオスズメバチという脅威を放置すれば、ミツバチは全滅してしまう。積極的な駆除よりも、専守防衛に徹しています」
飯倉さんの、排除や対立ではなく「どう共に生きるか」を模索する姿勢。
その考え方に触れたとき、私たちは「養蜂」という営みの奥に、もっと大きな自然との対話があることを知りました。自然を操るのではなく、理解し、支える。
飯倉さんの養蜂は、そんな静かな哲学に貫かれていました。

「福祉」と「養蜂」がつながる、地域の連携
この養蜂場にはもう一つの特徴があります。飯倉さんは、養蜂を福祉作業所の活動として協力しているのです。
いわば「養福連携」。
「もともとは“農福連携”という考えがありまして。農業の一部作業を福祉施設の方と一緒に行うことで、彼らにとっての仕事の場ややりがいにつながればと。それを、養蜂にも応用しているという形です」
飯倉さんは、横浜市内の福祉作業所と連携し、養蜂には欠かせない木製の巣枠の組立、はちみつの 充填等を依頼しています。この「巣枠を組む」という工程は、単純そうに見えても精度が求められる作業。
この取り組みからは、地域の中で養蜂が「誰かの生活」とつながっていく、そのあたたかく、実直な循環が感じられます。
ミツバチの健康とハチミツの質
養蜂が畜産業である以上、ミツバチの健康管理と同様に、“餌”の選択も非常に重要です。
飯倉さんが花の少ない時期に用いるのは、「ビーブリード」や「ビーハッチャー」といったミツバチ専用の飼料(代用花粉)。自然界の花に代わる栄養源として、ミツバチの健康を支えています。
「越冬のための餌としては、一般的に糖液(砂糖水などの人工餌)が使われますが、ミツバチはそれをハチミツと同じように巣に貯めてしまうんです。大仙養蜂園では、糖液をほぼ使わないようにしています」
一度混ざってしまった糖液の成分は、ハチミツから分離することはできません。
そのため、春先に採れる最初の蜜は、「捨て蜜(掃除蜜、初回蜜とも)」と呼ばれ、糖液が及ぼす風味や品質の変化を懸念し、販売を避ける養蜂家も少なくありません。(商品として出回る例も見られます)
しかし飯倉さんの養蜂場では、糖液ではなくミツバチ専用の飼料を用い、さらに蜜を貯めた巣枠(蜜枠)をあらかじめ冷凍保存し、適宜解凍して給餌に回すことで、可能な限り砂糖の使用量を減らしています。細やかな管理により、糖液をほぼ使わない“自然を尊重した養蜂”がなされています。
こうした工夫の積み重ねが、ハチミツの味にも表れています。
『小網代の森はちみつ』は、ふわりと立つ香りに始まり、軽やかな口当たりと、喉の奥へと自然に流れる優しい甘さが特徴。自然そのままの風味が感じられる、澄んだ味わいです。

蜜蝋が、海底でワインを守っている?
養蜂といえばハチミツ。ですが、もう一つの副産物「蜜蝋(みつろう)」も、飯倉さんの手にかかれば価値ある地産資源へと変貌します。
「大仙養蜂園では、蜜蝋を“小網代湾の海底熟成ワイン”に使ってもらっています」
聞けば、お客様からワインを預かって海底15メートルで約半年熟成されるというプロジェクトがあり、その防水シーリングに蜜蝋が使われているとのこと。海底熟成を行うと、地上での3年分の熟成効果があるとも言われています。また、そのシーリング作業も、三浦市社会福祉協議会を通じて『養福連携』で行われているそうです。
他にも蜜蝋は、リップクリームやハンドクリーム、レザークラフトの素材としても重宝されており、その用途の広がりはまさに“地域資源のアップサイクル”と言えます。
働きバチたちの世界
巣箱を覗かせてもらうと、そこには確かに“社会”が存在していました。女王蜂、働き蜂、雄蜂——見た目こそ似ていても、それぞれの役割は明確です。
「働き蜂は、全部メスです。しかも、外に蜜を取りに行くのは、一番年長の“ベテラン”たち。命がけの仕事ですからね」
蜜を採り、花粉を団子にして運んで来る働き蜂。巣に戻ると「8の字ダンス」で花の方向と距離を仲間に伝えます。まるで地図のように、緻密な情報が共有されるのです。
そして驚いたのは、巣箱内部の構造にも明確なルールがあること。
例えば、6mm以下の隙間はプロポリス(蜂ヤニ)で封じられ、8mm幅は育児スペースとして最適化され、12mmの間隔は貯蜜に、12mmを超える空間は新たな巣を築くサインになるといいます。
自然が編み出すこの“建築設計”には、ただただ感嘆するばかり。そして、その叡智を理解し、ミツバチたちが本来の行動を自然に発揮できるような環境を1mm単位で整えていくことこそが、良い養蜂家の仕事なのだと感じました。
見学のひとこま —— 可愛い“ルーキー”たち
飯倉さんが巣箱から、まだ羽ばたけない若いミツバチ(いわば「ルーキー」)をそっと取り出して見せてくれました。
「この子たちは、まだ飛べないんですよ。幼くても本能的に巣に戻ろうとする力を持っており、前を行く仲間のミツバチが出すフェロモン(匂い)を辿って、自力で歩いて帰ることができるのです」と飯倉さん。
小さな身体でよちよちと歩いて戻っていきます。その姿のなんと愛らしいこと。
ミツバチの命に優しく触れる瞬間でした。

養蜂の苦難と、日本の課題
養蜂は、決してロマンや自然愛だけで語れる世界ではありません。
ダニの蔓延、気候変動、蜜源の減少、流通の壁、そして人手の不足。
「フランス・パリでは、リュクサンブール公園の一角にフランス最古の養蜂学校があり、意欲のある人が体系的に学べる仕組みが存在しています」
一方、日本では、養蜂技術に関する発信も乏しく、養蜂人材育成は徒弟制が中心。「地域にもよるとは思いますが、養蜂に封建的な残滓が多分に残っているように思います。それによる利点もあるかもしれませんが、個人的には、養蜂はもっとオープンであっていいと思うんです」
だからこそ、飯倉さんは子ども達への体験教育にも力を入れていきたいと話します。
「まずは、ミツバチとふれあってもらう。自然との距離が縮まると、きっと環境の見方も変わると思うんです」
養蜂という営みを、閉ざされた技術ではなく、暮らしに根ざした学びへ。飯倉さんのまなざしは、未来を見据えています。
必要なのは、“自立した一人ひとり”
取材の終わりに、飯倉さんが静かに語ってくれたのは、「養蜂家をただ増やすことが目的ではない」という想いでした。
「もし生産量を重視するなら、大規模化という道もあるでしょう。でも、市街地化が進む神奈川では、それは現実的ではありません。それよりも、小規模でも自立した養蜂家が地域に分散しているほうがいい。作物の受粉や、個性あるハチミツの生産といった地域の養蜂課題にも“面”で取り組むことができて、互いに補完し合えるはずです」
自然と真摯に向き合いながら、未来の在り方まで見据えて養蜂に取り組む飯倉さんの姿勢と言葉には、私たちも多くを学ばされます。 そのままハニーチームも、こうした現場からの誠実なまなざしに寄り添いながら、これからも“本当にいいハチミツ”を届けるために、まっすぐに取り組んでいきます。
養蜂は、ただ技術を覚えれば成立するものではありません。相手は、繊細で、感情を持つ生きものです。
「ミツバチは、とても正直なんです。雑に扱えば攻撃的になる。でも、丁寧に接していれば、すごく穏やかな性格に育ってくれる。うちは、見学に来た人が刺されたこと、一度もないんですよ」
生態系を尊重し、自然と人、そして人と人とが穏やかに共存する未来。 それは、こんな場所から始まっているのかもしれません。
📷 飯倉さんとそのままハニーチーム 養蜂場に隣接する立派な山桜。この日はまだ咲いていませんでしたが、越冬後のミツバチたちの大切な栄養源になるそうです。
そのままハニーは、これからも。
たくさんの国内養蜂家のものへ足を運び、対話し、『私たちの暮らしに根ざすハチミツ、そして養蜂』という視点で、ファンの皆様とともに歩んでいきます。
一滴のハチミツの裏にある、季節の移ろいとミツバチたちの営み。そのすべてに耳を澄まし、見つめ、そして伝えていくこと。それが、私たちそのままハニーの役割だと考えています。
これからも、自然と寄り添うハチミツの物語を、一緒に味わっていただけたら嬉しいです。
Text & Edit:そのままハニーチーム(運営:株式会社アンウォール)
Special Thanks:飯倉 剛(大仙養蜂園)
神奈川県養蜂組合 横須賀三浦支部副支部長/鎌倉こどもハチミツプロジェクト顧問